イタリアの古都ローマを訪れた旅人に対し、周囲は華々しい成果を期待するものでしょう。しかし、陶芸家である十五代樂吉左衞門氏が1976年当時、現地で没頭していたのはまさかの「茶の湯のお稽古」でした。有り余る時間の中で、氏は現代音楽のコンサートや映画に没頭しながらも、深い自己懐疑の沼に溺れそうになっていたのです。現状に抗うように格安の中古車を手に入れた氏は、新天地であるフランスのパリを目指して果敢に出発しました。
出発から10日目が経過した1976年の道中、アルルの峠道で激しい雨に見舞われます。視界不良のカーブを曲がった瞬間、道路が消え去り、車は大きな衝撃とともに横転してしまいました。奇跡的に怪我はなかったものの、愛車は廃車同然の姿となります。手続きのため近くのサンジェニエという小さな村に足止めされた氏は、なんと修理工場の廃車を宿代わりにして、1ヶ月もの間、居座り続けるという大胆な行動に出たのです。
この村での暮らしは、驚きと温もりに満ちていました。黄色人種を初めて見た工場のおかみさんに「肌が白いわね」と驚かれるなど、文化の壁を越えた交流が始まります。村人たちは夕方6時に仕事を終えると、バーをはしごして強い酒をあおり、食後は「ペタンク」と呼ばれるフランス発祥の伝統的な球技(標的に向かって金属製のボールを投げ合うゲーム)を楽む毎日を送っていました。この素朴な営みは、氏の心を解きほぐしていきます。
SNS上でも「これほど高名な芸術家が、異国で廃車に泊まり込んでいたとは驚きだ」「旅のトラブルが人生の転機になるドラマのようだ」と、その型破りなエピソードに驚嘆する声が相次いでいます。その後、パリへの旅をヒッチハイクで再開した氏は、道端の果物をかじり、傷みかけのチーズを食す過酷な野宿生活を続けました。ロマの家族や高級車の医師、温かい食事を恵んでくれた修道院のシスターなど、人の情けが身に染みる旅路が続きます。
しかし、旅が進むにつれて氏の精神は「自己表現そのものへの懐疑」という、より深刻な artistic crisis(芸術的危機)へと陥っていきました。自分の作品が空間を支配し、人々を威圧することに傲慢さを感じてしまったのです。宮沢賢治の詩『春と修羅』の一節を口ずさみながら、「まことのことば」を追い求める孤高の旅路。社会との関わりが見えなくなる中で、氏は日本で身にまとっていた虚飾という名の「鎧」を、少しずつ脱ぎ捨てていきました。
私たちが日常で自己主張に躍起になる中、氏が辿り着いた「ねじ伏せる表現ではなく、優しさを」という境地には深く胸を打たれます。他者を圧倒するアートではなく、人に使われることで完成する「用」の美。それこそが優しさそのものであると気づいた瞬間、氏の脳裏には「樂茶碗」の姿が自然と浮かび上がりました。この大いなる決意を胸に、氏は1976年の暮れに帰国の途についたのです。真の芸術は、自己の完全な崩壊の先にこそ宿るのでしょう。
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