2019年、世界遺産としても名高いイタリア・ローマのスペイン広場で、階段への腰掛けが禁止されるというニュースが話題を呼びました。オードリー・ヘプバーンが映画でジェラートを頬張ったあの場所ですが、現在は景観保護のために厳しい規制が敷かれています。こうした欧州の姿勢と比較すると、日本の街並みには「ある違和感」が浮き彫りになります。それは、空を細切れに分断する膨大な数の電柱と電線です。
日本を訪れる外国人観光客は、街の清潔さや舗装の美しさを絶賛します。しかし同時に、至る所に張り巡らされた電線に対しては、残念な思いを抱くことも少なくありません。2019年11月17日現在、日本国内には約3600万本もの電柱が存在しています。SNS上でも「空の写真を撮ろうとしても電線が邪魔になる」「日本のアニメの風景としては情緒があるけれど、実際はない方が美しいはず」といった複雑な声が散見されます。
明治時代から指摘されていた「風景の破壊」
実は、日本の風景が電柱によって損なわれているという指摘は、今に始まったことではありません。100年以上前、明治時代に来日した西洋人たちは、日本の豊かな自然や手入れされた農地を称賛する一方で、無機質な電柱が景勝地に突き出している様子を「つや消しだ」と厳しく批判していました。私たちは長年、この風景の荒廃を、近代化の代償として受け入れすぎてしまったのかもしれません。
なぜ日本はこれほどまでに無電柱化が遅れたのでしょうか。立命館大学の高田昇名誉教授は、明治以降の「富国強兵」や戦後復興において、コストを抑えて素早くインフラを整えることが最優先された背景を指摘します。欧米諸国が経済発展と共に電線類の地中化、つまり電線を地面の下に埋める作業を進めたのに対し、日本は民間任せのまま景観を後回しにする風潮が定着してしまったのです。
防災と伝統の両面から進む新たな街づくり
しかし、変化の兆しも見え始めています。2019年10月13日に滋賀県大津市で開催された「大津祭」では、無電柱化が完了したばかりの旧東海道を豪華な曳山が巡行しました。住民が「伝統行事にふさわしい美しい街並みを」と団結した結果、空が本来の広さを取り戻したのです。このように、地域コミュニティの意思統一こそが、景色を変える最大の原動力になると言えるでしょう。
さらに、2019年9月に発生した台風では、千葉県を中心に多数の電柱が倒壊し、深刻な停電被害をもたらしました。この災害をきっかけに、景観だけでなく「防災」の観点からも、電柱をなくす重要性が再認識されています。私個人としても、清潔で機能的な日本の街が、同時に「視覚的な美しさ」も備えることは、日本人の情緒や文化的な豊かさを守るために不可欠な投資であると確信しています。
東京大学の松原隆一郎名誉教授は「清潔なのに風景が荒廃している状況を当たり前にしたくない」と警鐘を鳴らしています。電柱や電線が視界にあることに慣れ、感性が鈍ってしまう前に、私たちは自分たちが暮らす風景をどう愛したいのか、もう一度問い直すべき時期に来ています。空を見上げたとき、網目のような電線ではなく、突き抜けるような青さが広がる未来を、今こそ官民一体で描くべきでしょう。
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