中日のレジェンド高木守道氏が死去。職人技バックトスと「10・8決戦」でプロ野球界を沸かせた昭和の頑固オヤジの生涯に迫る!SNSでも感動の嵐

中日ドラゴンズの黄金期を支え、ファンからは「ミスタードラゴンズ」として愛された高木守道氏が、2020年01月19日にこの世を去りました。彼が残した数々の伝説的なプレーや、監督としての情熱的な采配は、今なお多くの野球ファンの心に深く刻まれています。インターネット上でも「本物のプロフェッショナルだった」「バックトスを真似した子供時代を思い出す」といった、故人を偲ぶ温かい声が数多く寄せられているところです。

高木氏の代名詞といえば、二塁手のポジションから鮮やかに繰り出される「バックハンドトス」でしょう。これは、捕球したグローブとは反対の手で、文字通り背中越しや体の後ろ側からボールを放る高度な守備技術を指します。一見すると派手で曲芸のようなパフォーマンスに見えますが、実はコンマ数秒を争う野球のダブルプレーにおいて、一塁走者を素早くアウトにするための極めて実用的な職人技なのです。

後輩の野球関係者がキャンプ地で目撃したエピソードからは、彼の並外れた努力の天才ぶりが伝わってきます。すでに天才二塁手としての地位を確立していたにもかかわらず、高木氏は一人きりで壁に向かい、何時間もトスの練習を繰り返していました。周囲が驚くなかで本人は「このプレーは120パーセント成功させなければ意味がない」と語っており、完璧を追い求めるストイックな姿勢が伺えます。

名手として鳴らした高木氏ですが、打撃でも通算2000本安打を達成するなど超一流の成績を残しました。鋭い洞察力で相手投手の癖を見抜くことに長けており、試合後には独自の秘密ノートへ細かくメモを残していたそうです。ときには読みが外れることもあったようですが、「5割当たれば十分だ」と言い切る豪快な勝負師としての一面は、現代の緻密なデータ野球とは一味違うロマンを感じさせます。

監督としての手腕も一級品で、1992年04月の指揮官時代には、一瞬のひらめきによるヒットエンドランなどの奇策を次々と成功させました。そして球史に語り継がれるのが、読売ジャイアンツと同率首位で迎えた1994年10月08日の最終決戦です。この大一番には惜しくも敗れたものの、後半戦の驚異的な追い上げは日本中を熱狂させ、ファンの間では今でも「プロ野球史上最高のドラマ」と語り継がれています。

高木氏は筋を通す頑固一徹な性格でも知られ、1974年のリーグ優勝時には、長嶋茂雄氏の引退試合を尊重してパレードへの参加よりも試合出場にこだわったという逸話もあります。落合博満氏をはじめとする球界のレジェンドたちからも畏敬の念を集め、背番号「1」はまさに中日の象徴でした。独自の信念を貫き通した昭和の職人の生き様は、効率が重視される現代において、私たちに大切な何かを教えてくれるのではないでしょうか。

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