山形県鶴岡市に、まるで水田の上に浮かんでいるかのような不思議なホテルが姿を現しました。2018年9月19日にグランドオープンを果たした「SHONAI HOTEL SUIDEN TERRASSE」は、開業初年度だけでおよそ4万人もの宿泊客を魅了しています。その息をのむほど美しい佇まいは、遠方からの旅行者だけでなく、見慣れた田園風景の素晴らしさを再発見した地元住民の心もしっかりと掴んでいるようです。SNS上でも「言葉を失うほどの絶景」「一度は泊まってみたい憧れの宿」といった感動の声が溢れています。
駐車場からホテルの入り口へと続く一本の道は、田んぼのあぜ道をモチーフにデザインされており、まるで別世界へと誘われるような高揚感を覚えるでしょう。歩道と車道を緩やかに仕切る木組みは、収穫した稲を天日干しにする伝統的な「はざかけ」を表現しています。一歩中へ入り、1階のエントランスから階段を上ると、そこには開放感に満ちた吹き抜けのロビーが広がっていました。頭上に連なる波のような折板屋根(せっぱんやね)が、日本の伝統美をモダンに演出し、訪れる人々を温かく出迎えてくれます。
基礎部分を除いて建物全体が木造で造られているため、館内のどこにいても木の優しい香りに包まれて、心がじんわりと解きほぐされていくのを感じるはずです。フロントの壁を彩る丸い筒状の紙管(しかん)には客室の鍵が収められており、お洒落で愛らしい印象を与えてくれます。実は、この紙管こそがホテル全体の設計を手掛けた世界的な建築家である坂茂(ばん しげる)氏が最も得意とするデザイン手法なのです。ロビーを注意深く見渡すと、ベンチや仕切り、椅子など様々な場所に散りばめられています。
軽やかで環境に優しいエコな雰囲気が漂うのは、窓の外に広がるのどかな田園風景と美しく調和しているからに他なりません。宿泊棟は全部で3つあり、庄内地方が誇る出羽三山(でわさんざん)にちなんで月山を意味する「G棟」、羽黒山の「H棟」、湯殿山の「Y棟」と名付けられました。これらはガラス張りの渡り廊下で結ばれており、143ある客室は木と紙管を贅沢に使ったシンプルで温かみのあるインテリアが特徴的です。過度な装飾を削ぎ落とした空間は、日々の喧騒を忘れさせてくれるでしょう。
さらに、100%源泉掛け流しの天然温泉を楽しめる大浴場も完備されています。敷地内から湧き出る恵みの湯でリフレッシュした後は、地元の旬の食材を味わえるレストランや、心静かに本と向き合えるライブラリー、最新機器が揃うフィットネスセンターなどで、贅沢な時間を過ごすのがおすすめです。近隣にある「鶴岡サイエンスパーク」を訪れるビジネスでの利用者や周辺観光の拠点としてはもちろんですが、最近ではこのホテルに滞在すること自体を目的に、わざわざ遠方から足を運ぶ熱心なファンも増えています。
朝、心地よい目覚めを迎えて部屋のテラスへ一歩踏み出すと、足元に広がる水面が朝風に揺られてきらきらと輝いていました。館内を巡る水は、組み上げられた地下水を効率的な冷暖房システムであるヒートポンプに活用したもので、その後は水路を通って周囲の水田へと流れ込んでいきます。農地転用(農業以外の目的に土地の用途を変更する手続き)を施したエリアのため、実際に稲作は行われていませんが、水鏡となって四季折々の空を映し出す景色は、まさに人工と自然が見事に融合した芸術作品です。
少子高齢化に直面していた鶴岡市が、生き残りをかけて20年前に始動させたのがサイエンスパーク事業でした。最先端のバイオテクノロジー(生物の持つ力を暮らしに役立てる技術)を研究する慶應義塾大学先端生命科学研究所の誘致に成功し、周辺には有望なベンチャー企業が次々と誕生したのです。当初は研究者らのための一般的なビジネスホテルを建設する計画でしたが、ここで名乗りを上げたのが、地元に深く根差した街づくり会社「ヤマガタデザイン」でした。
彼らが提案したのは、鶴岡の原風景である美しい田園をそのまま活かし、観光客もゆったりと羽を伸ばせる理想的なホテルでした。2014年にわずか10万円の資本金で設立されたこの会社は、地元の熱い信頼を勝ち取りながら急成長を遂げています。代表を務める山中大介氏は東京都の出身ですが、研究所の冨田勝所長の人柄と情熱に惹かれ、家族を連れてこの地へ移住してきました。現在はホテル経営にとどまらず、子育て支援や農業、人材紹介など、地域が抱える課題に真正面から取り組んでいます。
素晴らしいデザインには、それだけで人々を惹きつけ、その土地へ足を運ばせる強いパワーがあります。ビジネスや観光目的のゲストだけでなく、山形県内にお住まいの方が「特別な時間を過ごしたい」と宿泊に訪れるのは、最高に嬉しい誤算と言えるでしょう。地元の人々が当たり前だと思っていた景色に新しい価値を見出し、誇りを持って大切な人を招待できる場所ができたことは、地域の未来にとって非常に大きな意味を持ちます。この本気の街づくりが、庄内の地に豊かな実りをもたらしています。
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